時代の風




○私塾・建築講義(10) 〜 建築に関する初期学習で得た成果とそれに基づく提言 〜

1.建築に関する初期学習で得た成果とそれに基づく提言
にわか勉強で建築をかじって二ヶ月が過ぎた。とはいえ勉強したことは、数十冊の書物を読んだことだけである。
そして書物に啓発され、それらを読み比べた結果を自分なりに編集し、自分の思考を加えて建築を解釈したのがこれまでのテキストの内容である。
このへんで一度読書による学習を休憩し、これまで学んだ建築についての自分の観察と正直な感想をまとめ、それに基づいて何らかの提言をしておくことも、今後いっそう深く建築を学習した後で振り返る何らかの里程標になるだろう。
したがって、この節ではいっさい書物を引用せず、参考文献を頭におかず、自分の言葉だけで「建築に対する初等提言」を試みることにする。

初等提言1:すべてをアーキテクトと呼べ
意匠設計者を建築家、建築士、あるいは設計士というふうにいろいろな呼び方で呼ぶのはやめたほうが良い。
ル・コルビュジェがそう呼んだように、一律に建築者と呼ぶべきだ。
もし建築者という日本語が一般的でなくなじみが薄いというならば、すでに十分日本語化しているアーキテクトというべきだ。
そうでないと、呼称によって建築に携わる責任や義務が異なるようで、違和感を抱く。
恐らく紛らわしい呼称をはびこらせた背景は、日本の自称建築家たちが自らのアイデンティティを他者と差別するために恣意的に選んだ誤謬にすぎないのだから。

初等提言2:すべての建てる行為は建築と呼べ
建築とか構築、あるいは建造とか建設など、建てる行為に対する呼び方も統一するべきである。
建築という用語だけを特別階級に据えて、その他の用語と差別しているような印象を与えるからだ。
聞きようによっては、建築だけが社会的存在として責任を負っている行為であり、その他の用語による行為は責任をまっとうする必要から逃避しているように聞こえるからだ。
なぜ建てる行為にまで差別を意図するのか。ここでも、背景には一部の自称建築家による行き過ぎた作品意識が根ざしているに違いない。

初等提言3:すべての建築された物質はアーキテクチュアと呼べ
同様に、建築された物質を建築物とか建造物あるいは構築物などと区別していることにも積極的な意味を見出すことができない。
ここでも前項と同じように、一部の自称建築家たちの作品意識が勝ちすぎていることに起因する恣意的な差別を感じる。
すべてを建築物あるいは建築と称するべきである。
もし、建てる行為としての建築と建てられた物質としての建築が区分できないから紛らわしいと言うのであれば、行為を建造、物質を建築と定義すればよい。
あるいは、行為を建築、物についてはここでも十分に日本語化しているアーキテクチュアを用い、明瞭に区別をすれば用は足りる。

初等提言4:デザインとデザイナーを廃止せよ
デザイン・デザイナーと設計・設計者とが混乱している。あるいはデザイナーという用語の用いられ方が曖昧に過ぎている。
日本語でデザイナーといった場合、どうしても服飾関係のファション・デザイナーに思いを馳せる。事実、巷でデザイナーと言ってみよ。
ほとんどの世論は服飾デザイナーのことだと思うことだろう。
こと建築に関するかぎり、思い切ってデザインあるいはデザイナーという輸入語を廃止してしまってはどうか。
そしてデザイン=意匠設計、デザイナー=意匠設計者=アーキテクトという単純明快な図式を構成してみてはどうか。
こんな割りきりによって、いったい誰が困るというのだろう。他者を差別したい一部の志が低い自称建築家だけではないだろうか。
本物であるならば、この提言に首肯するはずだと思うが・・・。

初等提言5:アーキテクトとエンジニアを明確に区分せよ
建築の設計者であっても、設備の専門家や構造の専門家を意匠の専門家と同じように扱ってはならない。
意匠設計者をアーキテクトと呼ぶように統一する一方、設備設計者や構造設計者をエンジニアと呼ぶよう統一するべきである。
さらに細かい分類が好まれるようであれば、それぞれ設備エンジニア、構造エンジニアと称すれば事足りるであろう。
設備については門外漢であるが、構造については本来土木も建築も垣根はない。
シドニーのオペラハウスの構造設計で有名なオヴェ・アラップは、同時に橋梁の構造設計者であった。そしてアラップ同様に領域をまたいで構造設計に功績を残しているエンジニアは数多い。
だが、彼らはエンジニアであって、アーキテクトではない。
このように、欧米ではむしろ、エンジニアには垣根を設けないことが一般的であり、彼らがアーキテクトと呼ばれることは皆無である。

以上に示した五つの初等提言は、これまで私が学習過程で思い至った疑問に基づいていることはもちろんである。
だが、三十余年にわたり主として米国の橋梁建設業務に従事してきた私の知見によって、欧米の常識と日本の建築界の特殊性を対比した気づきも含まれていることを併せて記しておく。






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