時代の風




○私塾・建築講義(3) 〜 アーキテクチュアの混乱 〜

1.アーキテクチュアの原義
たくさんの書物が[アーキテクチュア]という言葉の発生について書いている。
おそらく全部調べれば面白い対照ができるかもしれない。
「いまさら素人が調べるまでもないか」と思いつつも、つい余計な興味を抱く。
そして、三冊の本を参考に照合してみた。

まずは、鈴木博之著『都市のかなしみ』(中央公論社、2003年10月)から。
ただし、この本が教えてくれるのは[建築家]の原義であるとのこと。[アーキテクチュア]ではない。
古代ギリシャ語にarchitekton<アルキテクトン>ということばがあり、それが建築家を指し示す。
Architektonは、arkhos<アルクホス>ということばとtekton<テクトン>ということばを合成した語である。
Arkhosには「長」という意味があり、他方tektonには「職人」という意味がある。

つまり、古代ギリシャ語においては、[建築家]とは「職人の長」という程度の意味しかなかった。
今日風に言い直すならば、“大工の棟梁”であろうか。
このarchitektonという語を基にして、ウィトルウィルスは『建築十書』の中でアルキテクタスarchitectus<アルキテクトゥス>という言葉を使用するようになる。
ただし、それがアーキテクチュアを指したか、アーキテクトを指したかを本書は明らかにしていない。

次は、建築学教育研究会編『建築を知る』(鹿島出版会、2005年4月)である。
この本は、建築の初学者向けの本であり、丁寧にアーキテクチュアを説明している。
同書によれば、英語のarchitecture<アーキテクチュア>は、もともとラテン語のarchitektura<アルキテクチューラ>に由来している。
このラテン語をさらに遡ると、ギリシャ語のarchitectonice<アルキテクトニーシェ>という言葉になる。
さらに遡ると、このarchitectoniceに同じくギリシャ語のtechne<テクネー>という語の意味も加え持つarchetecton<アルケテクトン>という古代ギリシャ語にたどりつく。
Architectonはarche<アルケー>という始原、原理、首位などの意味を持つ語と、tecton<テクトン>という職人、工匠という意味を持つ語との合成語である。

すなわちアーキテクチュアとは、
“ものごとの原理や根本的な知識を備えた上で、職人たちを指導し、技術を統合して、制作を企画しうる能力を持つ者”
と同書は述べている。

私流にコメントすれば、アーキテクチュアというコトを説明する文章が「持つ者」という説明で終わることに同書の混乱を感じるが、それは後でまとめて指摘しよう。

最後は、倉田康男著『建築造型論ノート』(鹿島出版会、2004年9月)による。
倉田は、アーキテクチュアの語源はやはりギリシャ語のarchitectoniceであり、architectoniceはarchitectonice tectonの略語であり、
これは古代ギリシャ語のarchitecton<アルキテクトン>に由来する言葉である、としている。
Architectonはarcheとtecto<テクトー>の合成語であり、“合理的な制作”という意味をもつ。

さて、三つの著書によりアーキテクチュアの原義を紹介した。
どの説明にも微妙なズレが生じてしまっていることに気づいただろうか。

まず、単語の綴りが各書で少しずつ違ってしまっている。
一番目は、アルキテクトンもしくはアルケテクトンについてである。

・architecton<アルキテクトン>(『都市のかなしみ』)
・archetecton<アルケテクトン>(『建築を知る』)
・またarchitekton<アルキテクトン>(『建築造型論ノート』)

どれも異なっており、はっきりしない。
三冊とも出典や引用文献を明らかにしていないため、いずれが正解もしくは不正解であるのかわからない。
あるいは全てが正解であるのかもしれない。また、全部が誤りという可能性もあるだろう。

二番目は、合成語であるアルキテクトン(もしくはアルケテクトン)の基とされている二つの言葉についてである。比べてみよう。

・arkhos+tecton<アルクホス+テクトン>(『都市のかなしみ』)
・arche+tecton<アルケー+テクトン>(『建築を知る』)
・arche+tecto<アルケー+テクトー>(『建築造型論ノート』)

これらも出典や引用が記されていないため、適切な用語は定めきれない。
古い言語であるため、文献を孫引きあるいは孫・孫引きしている間に誤りが生じているのかもしれない。
あるいは、三冊がそれぞれ違う文献を調査した結果なのかもしれない。
だが、近代建築以降、「建築・建築家の存在意義」が問われ続けている現在、その根幹である[アーキテクチュア]の原義ですら、
こうして混沌の中においたままであるところに、[建築]を語ろうとする現代の者たちの混乱を垣間見ることができる。

参考ながら、橋の棟梁のことはラテン語でpontifex<ポンティフェックス>という。
これは「橋」という意味のponti<ポンティ>と「つくる」という意味のfex<フェックス>の合成語である。
Pontifexには、また聖職者という意味もある。
紀元前1000年頃、北イタリアのポー川流域に杭上家屋を建てて住む民族がいた。
彼らにとって水上に浮かぶ家屋と生命の大地をつなぐ橋をつくる人は、世俗の人間と聖なる神を仲介する聖職者と見えたのだろう。
因みに、ローマ法王は今でもイタリア語でPontifex Maximus<ポンティフェックス・マキシマス>と称されており、これは“最高の橋梁の棟梁”という意味である。
ヨーロッパでは中世あたりまで僧侶が橋梁を建設することが一般的であった。
日本においても行基菩薩に代表されるように、鎌倉時代あたりまでは橋梁建設は僧侶の代表的な仕事であった。
洋の東西を問わず、橋梁の架設が聖職者の職業であったことに不思議な符合を感じる。
と同時に、[建築]の語源が[原理的なもの]と[技術者的なもの]の合成語であり、
[橋梁]の語源がまた[聖なるもの]と[建造者]との合成語である点にも、偶然で片付けたくない関連を見出す。建築史で取り上げてみたいテーマである。


2.アーキテクチュアの謎
いったい何をアーキテクチュアと呼び、何はアーキテクチュアから除くか。
なかなか解けないこの謎に挑戦してみたい。

この謎の解は、解答する者がどんな立場に拠るかによって変わってくる。
その立場として、次のような想定を試みる。

第一の立場は、すべてはアーキテクチュアである、というものである。
そして第二の立場は、すべてがアーキテクチュアであるとは限らない、とするものである。

二つの立場のどちらを取るかによって、アーキテクチュアの範ちゅうはどう変わるか。
それを議論するために、次の五つの具体例を対象として用いる。

・アルタミラの洞窟
・ストーンヘンジ
・パルテノン神殿
・私の家
・わが家のお墓

初めに、『アーキテクチュアは構築である』という立場を取って考えてみる。
構築とは主体と一体になった概念である。だれかが明らかな意思を抱いて行うのが構築である。
この立場は、先に述べた第二の立場、 すべてがアーキテクチュアであるとは限らない、の代表選手である。
つまり、アーキテクチュアに限定を付す立場である。
どんな限定かというと、それは構築しないものはアーキテクチュアではないという限定である。
主体がいなければアーキテクチュアではないという限定でもある。

だからこの立場にとって、構築でないもの、主体が存在しないものはアーキテクチュアではない。
よって、“アルタミラの洞窟”はアーキテクチュアの範ちゅうから外れる。
なぜなら洞窟は構築ではないからだ。また、構築の主体者がいないからである。

一方、“ストーンヘンジ”には垂直と水平という構築がある。
また、重力に抗するという主体の明確な意思が作用している。
だから、この立場を取る人々にとって、ストーンヘンジはアーキテクチュアに含まれる。

同様に、“パルテノン神殿”も“私の家”もまた“わが家のお墓”も主体が行った構築であるという事実からアーキテクチュアであるということができる。

同質の立場として、『アーキテクチュアは物質を使う』というものがある。
この立場にとって、アーキテクチュアとは物質を使う構築である、という定義が可能である。
したがって、ここでもまた自然が実存していたにすぎない洞窟だけは、アーキテクチュアからは除外される。
なぜなら洞窟は与えられた環境であるからだ。

第二の立場の三番目として、『人が住むものがアーキテクチュアである』という立場を考察してみる。
もちろん、随分乱暴な立場であることは承知の上である。
だが、アーキテクチュアをそれ以外から截断するのは内部空間を有することであり、
内部空間を有する目的が環境改善あるいは刺激や感動という人の五感への働きかけであるという定義が可能であれば、
住み手が存在し住み手によって継続的に空間を経験できるものだけがアーキテクチュアである、という立場も成立する。

この立場を取る人々にとって、ストーンヘンジもパルテノン神殿もアーキテクチュアではない。
なぜなら、この二つは神への畏れを表明するために神に捧げる祈りの場所として構築されたものであり、住み手がいないからである。
ストーンヘンジも神殿も住み手による空間の時間的経験を伴うことができないからである。
これを一般論に敷衍すれば、人が恒常的に住まない神殿・教会・神社・仏閣、あるいは美術館・図書館などはアーキテクチュアから排除される。
この立場を取る限り、住み手が存在する洞窟と私の家だけがアーキテクチュアになる。
住居だけがアーキテクチュアなのである。
これは大変すっきりした立場である。
少なくとも、構築あるいは物質などによる限定に比べると随分わかりやすい。
ただ一つ、問題となるのは“わが家のお墓”である。
お墓には住み手がいるとするか、それとも住み手はいないとするか。
あるいは住み手とは生きている人間だけを対象とするのか、死者もまた住み手に加えるのかといった問題が残る。

これは死んだ人間の亡き骸は物質に帰着してしまうのか、
それとも死んでも魂は不滅であっていつまでもそこにとどまるとするのかという形而上学の議論でもある。

つまり、唯物論を唱える人々にとっては、お墓は住居ではないためアーキテクチュアでなくなる。
他方、唯心論派にとっては、お墓といえども亡くなった人々の魂が宿る人間の住居であることに変わりはない。
逆に、“主体による構築”あるいは“物質を使う”という点では、お墓は疑うことなくアーキテクチュアである。
そういえば、お墓の代表的なピラミッドはどんな建築史を読んでもアーキテクチュアとして認識されている。
それはピラミッドの歴史性と象徴性に由来しているのであって、決して建築史家が唯心論者であったからではない。
だが、ここで取り扱っているお墓は、あくまで“わが家のお墓”である。


3.すべてはアーキテクチュアである
さて、ここで第一の立場に返ろう。すなわち、“すべてはアーキテクチュア”である。
1968年、当時オーストリアの『BAU』誌の編集長をしていたハンス・ホラインは『すべては建築である』という論文を発表した。
(『新・建築入門』隈研吾著、ちくま新書、2006年2月版)

ホラインは「ノン・フィジカル・エンヴァイラメンタル・コントロール・キット」と題した一個のピルを建築作品として提出した。
この一個のピルを飲むことで患者の環境を改善することが、この作品の目的であった。

ホラインの『すべては建築である』宣言には二つの意味がある。
一つは、主体を取り囲む環境はすべて建築と呼びうる。
もう一つは、環境とは主体の感覚によって生成される主観的な存在であり、主体の外部に客観的な実体として存在するわけではない、 というものである。

これらは現象学的世界ということができる。
すなわち現象学的世界においては、すべては建築である。
必要なのは、主体とその感覚だけである。

現象とは本質と対比されるものである。本質が外面に現れて観察される事実である。
したがってフッサールの現象学においては、日常的見方の土台にある外界の実在性については判断を中止する。
純粋意識だけが取り扱われる。ホライン流にいえば、主体の感覚だけが取り扱われる。

現象をもって『すべては建築である』とするホライン流は、ほんとうにアーキテクチュアを肯定しているのだろうか。
むしろ批判的に否定しているのではないだろうか。そんな疑問が沸いてくる。
現にホラインの宣言は、主体の外部の客観的な実体を否定し、主体の感覚による主観的な存在がアーキテクチュアであるという。

ホラインのいう主体とは何か。
ホライン自身は述べていないが、明らかに彼のいう主体は人を指している。知覚し認識する人間である。
ホラインにおいては、人の感覚が生成するものが環境なのだ。
彼は“感覚”と言っているが、それは“意識”であるに相違ない。
意識とは、人間に大脳新皮質が誕生して初めて生まれた現象である。
無機物にはもちろん、動植物にも意識はない。
したがって、明らかにホラインがいう主体とは人間を指す。

これは、人間の純粋意識に働きかけない実体はアーキテクチュアではない、と言っているのと同じだ。
つまり、ホラインは『すべては建築である』と言いつつ、主体が知覚しないもの、
または主体の主観に作用しないものは建築ではないと宣言しているにすぎない。
宣言は、じつは宣言自身に反し限定的である。

ここにホラインのアーキテクチュアに対する揶揄的な批判主義が見てとれる、と言えば穿ちすぎであろうか。
実際、ホラインの宣言にしたがえば、アルタミラの洞窟は外界に実在していた客観的本体であるがゆえにアーキテクチュアではない。
残念ながら、ホラインの宣言はこのようにして洞窟をアーキテクチュアから排除する。

では、パルテノン神殿はどうだろうか。
たしかに神殿は、人間が神への畏れを表すために敬虔な祈りを捧げる場所として、明確な意図をもって構築したものではある。
この点、神殿はホラインの言う主体の感覚による主観的な存在である。

だが、はたして神殿における真の主体は人間だったのだろうか。
人間にとって、神殿とは神に奉納した生贄ではなかったろうか。
生贄とは自然を神の名において殺傷することである。
これはアメリカのアーキテクトであるジョージ・ハーシーも指摘している。
(Lost Meaning of Classical Architecture, George Hersey, 1988)
そこでは人間は主体であることから逃げ腰ではなかったか。
主体になることを拒否したかったのではないか。
現に、人柱としか思えない女性像の列柱からは、神を恐れ、神を遠ざけ、神の怒りからできるだけ無縁でありたいと願う人間の卑しさしか想像できない。

では真の主体者はだれなのか。
それは神であったはずだ。

つまり、神殿とは人間の純粋意識に働きかける主観的存在ではない。
遠慮がちに恐る恐る神の意識をうかがうことを主眼とした造型である。
人間の側はできるだけ客体的にこれに接するようつとめてきたはずである。
常に、人間は神殿との間に距離を置き、神殿を客観的存在として位置づけようとしてきた。
したがって、神殿は構築主体である人間の主観には作用してこない。人間はそれから遠ざかろうとしている。
「触らぬ神にたたりなし」である。
そこで配慮された設えは、真の主体である神の意向に沿うものだけであったといえるだろう。
この意味で、パルテノン神殿はアーキテクチュアではない。

同様の理由から、ストーンヘンジもアーキテクチュアから除外することができる。

翻って、“私の家”と“わが家のお墓”についてはどうだろう。
ホラインの宣言にしたがえば、アーキテクチュアとは主体の感覚による主観的な存在でなければならない。

では、“私の家”は私という純粋意識に働きかけているだろうか。
“私の家”は「強」という面ではシェルターとして十分役割を果たしている。
「用」という面でも起きて寝て、食べて憩える。
しかし、私の純粋意識に働きかけるような「認知的贅沢」を満たすほどには十分主観的ではない。

一方、“わが家のお墓”についてはどうか。
主体を構築者として捉えれば、それはいっそうホラインのいうアーキテクチュアから離れる。
なぜなら、わが家のお墓は構築者である私の父の純粋意識は働いているかもしれないが、私の父だけの主観的存在ではないからだ。
それは父も含む先祖代々からわが家の子孫にまで作用がとどく客観的存在である。

以上のように主体の主観的存在を中心に考えていくと、『すべては建築である』宣言は『すべては建築でない』宣言に限りなく近づく。
これはむしろ当然の帰結である。
なぜなら、『すべては建築である』とは、アーキテクチュアという言葉には必ずしも主体が必要ではなく、
主体がなくてもアーキテクチュアが存在することを意味するからだ。

  ホラインの宣言は、かくして自己矛盾に到りつく。
では主体がないものはアーキテクチュアと言えないのだろうか?
アルタミラの洞窟は、構築されていない。自然界の実存である。
しかし、一方で人間の住みかであったことも事実である。居住の証として壁画まで残っている。
人間がこの洞窟に住みついた目的は、自然の脅威から身を守るためだった。
つまり、洞窟はシェルターであったのだ。無論、現代までの住居もシェルターという側面を保ち続けたことは間違いない。

そこで、『すべてのシェルターはアーキテクチュアである』という定義を敷衍する。
すると、ホラインよりは『すべては建築である』方向に近づく。
シェルターの「用」が主体である人間を身体的に保護するということならば、雨傘もアーキテクチュア、靴もアーキテクチュア、衣類もアーキテクチュアである。
だが、人間にとってのシェルターの役割は身体的防衛だけではない。
シェルターとしてのアーキテクチュアは、人間の精神的・心理的シェルターという役割まで努めるはずだ。
ここに、アーキテクチュアの意味や芸術性、あるいはアーキテクチュアが担うべき文化といった側面から論議する必要性が登場する。






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