時代の風




○私塾・建築講義(2) 〜 アーキテクチュアと建築、あるいはビルディングと建物 〜

1.輸入語の[建築]
建築関連の本を読んでいると、やたら「建築とは何か」について語られているのが目に付く。
これは、建築学の分野に[建築論]というのがあって、そこで建築の意味や本質について歴史的、哲学的、思想的に論考するからだそうだ。

だが、さまざま語られている中味を鳥瞰してみると、どうもこの分野つまり[建築論]と、[建築史]あるいは[建築意匠]の分野には、明瞭な境界線はなさそうだ。
誤解を恐れずに言うと、[建築史]を勉強することで[建築論]や[建築意匠]は語れるようにも思う。
この点については、稿をあらためて考察したい。
日本語で[建築]という場合、一般には実際に建てられた建物、あるいは建物を建てる行為を指す。
例えば広辞苑第四版(1991年11月発行)を見ると、

「[建築](江戸時代末期に造った訳語)家屋・ビルなどの建造物を造ること」

となっていて、建築についての一般的な理解が先に述べた通りであることがわかる。
ところが、同じ広辞苑でも第二版(1969年5月発行)では、

「[建築]:家屋、橋梁などの建造物を造ること」

とある。興味が湧いて初版も調べてみた。
1955年5月発刊の広辞苑第一版による解説は、次の通りである。

「[建築]:土木・金石などで、家屋・橋梁などの建造物を建て築くこと」

面白いことに、1955年の第一版や1969年の第二版に家屋と共に建造物とされていた“橋梁”が、1991年版では姿を消し、入れ替わりに“ビル”が登場している。
1955年が戦後復興期、1969年が高度経済成長の絶頂期、そして1991年がバブル経済の終焉期であったことと考え合わせると、“橋梁”と“ビル”の交替につい興味を抱く。

戦後から高度経済成長期には、橋梁は家屋と並んで建築を代表する建造物である、と一般では思われていた。
たしかに、橋はその時代の技術と造型精神の結晶であり、時代と共に生きている。
「日本橋」(1911年4月開通)は、近代東京を誇示する装飾橋梁の先駆けであり、その趨勢は大正、昭和初期まで続く。
言問橋、駒形橋、蔵前橋、清洲橋らに代表される隅田川の復興橋梁は、大正末期から昭和15年までに建設されたデザイン性の高い橋梁である。
ちなみに、日本橋の装飾意匠設計は大蔵省臨時建築部部長の妻木頼黄(構造設計は東京市橋梁課長の樺島正義)が担当している。

それがバブル経済期をはさんで、代表選手の座をビルに譲った。
裏を返せば、高度経済期までは橋梁という結節点によるネットワークの“線的支配”が目立ち、
バブル期においてはビルが林立してエリアへの“面的支配”、あるいは高層化による“空中支配”が顕著になったということだろうか。

建築は、橋梁というもっとも鮮烈な都市の記憶への介入を放棄し、自ら活動領域を限定してしまったような気がする。
ここにも[建築]ということばの曖昧さを窺い知る。

もう一つ、広辞苑が関心を惹いた箇所がある。
それは“江戸時代末期に造った訳語”という解説は誤りではないか、ということだ。
そこで、建築という輸入用語の生い立ちについて調べてみた。
結論を先に書くと、広辞苑の「江戸時代末期」は誤りであった。
以下、石田潤一郎(京都工芸繊維大学教授)の『技術と芸術に分裂し、なお統合を追い求める』(AERAMook、2004年8月所載)によりながら経緯を探る。
英国人土木技師エドモンド・モレルが建議し、工学寮(のちの工部大学校)が開学したのは1873年(明治6年)である。
この時開設された[造家学科]が近代建築学の起点である。
やがてジョサイア・コンドルが講義の中で「諸君は建築家の教育が科学教育であると同時に芸術でもあることを肝に銘じておく必要がある」と述べたあたりから、
建築は技術か芸術かといった議論が続く。

この議論に終止符を打ったのは、当時大学院生であった伊東忠太であった。
伊東は1894年に「『アーキテクチュール』の本義を論じて其訳字を撰定し我が造家学会の改名を望む」という長い題名の論文を書いた。
伊東は論文で、ArchitectureはFine ArtであってIndustrial Artではない、
したがって工学的意味合いの強すぎる[造家]という訳語は不適切であり、意味の茫漠とした[建築]のほうが妥当である、と主張した。
この提案は当時の建築界に受け入れられ、1897年(明治30年)には帝国大学造家学科は建築学科に、造家学会は建築学会に改称する。

以上の通り、Architectureが[建築]という訳語として公認されたのは、江戸時代末期ではなく明治30年のことである。


2.哲理か手法か―アーキテクチュアとビルディング
開設当初の工学寮造家学科の教科内容は、[造家諸式]つまり建築様式という1科目以外、すべて家屋建設の技術に関わるものだった。
例えば、建設技術([基礎ヲ布スルノ諸式]、[鉄或ハ材木ヲ以テ堂屋ヲ築クノ諸式]など)や建材製造技術([煉瓦下水管ノ製造]など)、および製図法の習得であった。
ここに、英国人ジョサイア・コンドルが着任し、建築の芸術性を学生に講義したことは既述の通りである。
その結果、工部大学校に[建築の歴史と芸術性]という教科が加わった。
建築という輸入語が定着する初期の段階で、早くも「建築とは何か」について揺れに揺れていた当時の様子が垣間見える。

私は、この揺れを、二つの視点を設けることで眺めなおしたいと思う。
第一の視点はオブジェクト、つまり造型対象である。
オブジェクトとしてアーキテクチュアArchitectureとビルディングBuildingを対比させたい。

一方、第二の視点は人、つまり造型者である。
人としてはアーキテクトArchitectとビルダーBuilderを対比する。意味自体が不明瞭な建築家は除外する。

[建築]草創期における建築をめぐる論議は、うわべでは「技術か、芸術か」という二者択一の形を取っている。
だが、そんなシンプルな設問が本質に迫らないことは、当時の誰もが認識していたことだろう。
それは、[建築]という茫漠とした意味を持つ訳語しか選択できなかった混乱からも、容易に推し量ることができる。

当時のふつうの人々にとって、[建築]はどう考えても建物すなわちビルディングであり、
それを造る[建築家]は大工の棟梁すなわちビルダーとしか映らなかったはずだ。
一方、西洋で発達したアーキテクチュアやアーキテクトに係わる概念は異なっていた。
アーキテクチュアが芸術作品かどうかはともかく、単なるビルディングを指す言葉ではなかったようだ。
同様に、アーキテクトが芸術家かどうかは別として、彼らが単なるビルダーでなかったことも窺い知ることができる。

つまり、西洋においては、「技術か、芸術か」という問いかけはナンセンスだったような気がする。
むしろ本質的に問うべきは、造型対象であるアーキテクチュアが社会的意味合いのある哲理を具象化しているかどうか、
そして又、造型者であるアーキテクトが歴史認識を体現する者であるかどうか、ではなかったか。

つまり、「哲理か、手法か」によって、アーキテクチュアとビルディングとは区別されるべきだろう。
アンドリュー・バランタインは『建築』(岩波書店、2005年9月)の中でこう言っている。

“文化的側面に注目したとき、初めて建物は「建築」として見られる”
“建築とは、建物それ自体が持つ属性ではなく、建物が一つの文化の中で経験されるときに持つ属性”


ビルディングは芸術ではなく、意味も持たない建物である。
「意味」に先立って「用」をなす。一方、アーキテクチュアも芸術ではない。
だが、それは意味を担わされた文化である。「用」に先立って「意味」をなす。
時間という経験をへることによって、空間が「意味」をもつようになった場合、ビルディングもアーキテクチュアになり得る可能性がある。





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