○雑誌「橋梁と基礎」掲載 〜 建築が工学に勝つ橋梁−橋の技芸家 〜
広辞苑をひもとき、『建築』の項をひく。1955年5月発行の第一版にはこうある。
・[建築] 土木・金石などで、家屋・橋梁などの構造物を建て築くこと
また、第二版(1969年5月発行)もよく似た感じで、
・[建築] 家屋、橋梁などの構造物を造ることとなっている。
つまり、第一版・第二版では建築の対象とする構造物は「家屋」と「橋梁」であるところが共通している。
一方、1991年11月に発行された広辞苑第四版を見ると、
・[建築] 家屋・ビルなどの建造物を造ることとされている。
面白いことに第一版・第二版では「家屋」と並んでいた「橋梁」が姿を消し、入れ替わりに「ビル」が登場する。
1955年がいわゆる“55年体制”が成立した年、1969年が“高度経済成長”の絶頂期、そして1991年が“バブル経済”の終焉期であったことを想起すると、「橋梁」と「ビル」の交替につい興味を抱く。
戦前戦後、そして高度経済成長期までは、「橋梁」は「家屋」と並んで『建築』を代表する建造物であったことを広辞苑は示している。広辞苑は大型の辞書の中ではもっとも汎用されているものであるから、広辞苑の字句の解説は民意の反映と考えてよいだろう。つまり、一般の人々にとって高度経済成長期までは橋梁は建築と考えられていた。
橋はその時代の技術と造型精神の結晶であり、時代とともに息づいている。近代東京だけを取り上げても、1911年4月開通の日本橋を初め、言問橋や清洲橋に代表される隅田川の復興橋梁は、大正末期から昭和15年までに建設されたデザイン性の高い装飾橋梁である。
それが高度経済成長期以降、建築の代表選手の座から消え、ビルにその地位を譲った。建築は、橋梁というもっとも鮮烈な都市の記憶への介入を放棄し、みずから活動領域を縮減してしまったような気がする。
お国変わってアメリカ。橋梁総数が日本の4倍弱にも上るこの国では、いま多くの自治体が“地域の顔”となる橋を望んでいる。橋梁建設に関わる委員会や審議会は、その案を考えるにあたり、土木技術者のほか建築家、時によっては芸術家までが加わるチームに着目し始めている。
今日のアメリカにおいて、もっとも有力で意欲的な橋梁設計者といえば、誰もがサンチャゴ・カラトラバの名を挙げる。つい最近だけでもテキサス州のMargaret Hunt Hill Bridgeを初め、彼が手がけている橋梁は数多い。
アメリカで初めて実現したカラトラバのデザインは、ミルウオーキー美術館の増築であった。その後、カリフォルニア、テキサスなどで仕事の領域を広め、今は世界が注目する世界貿易センタービル跡地に立つ交通拠点のデザインを手がけている。なお、カリフォルニアやテキサスは、近年興隆しつつある『創造階級』が住む『創造都市』が目立つ州であり(R. Florida著『The rise of the Creative Class』,2002)、このこととカラトラバの多用のあいだに何か符合を感じざるを得ない。
「橋のような工学の対象を、建築の側に取り返したい」。これがカラトラバの目指す目標の一つである。今後アメリカでは、カラトラバに刺激を受け、数多くのデザイン性の高い橋梁が“土地の顔”として出現してくることだろう。
日本ではどうか。2003年7月『美しい国づくり政策大綱』が発表され、2004年12月には景観法が施行された。美しい国土、たたずまいが正しい都市づくりをしようとする機運は高まっている(景観まちづくり研究会編著『景観法を活かす』、学芸出版社2004年12月)。橋梁の建設においても、設計段階で景観委員会が設立されたり、景観アドバイザーが採用されたり、あるいはデザイン・コンペが行われたりする事例は増えている。
直近では、2006年7月26日に第一次審査が終了した仙台市の『広瀬川橋梁』の設計コンペが記憶に新しい。この競技には29団体が応募し、第一次審査の結果6団体の作品が選定された。審査は意匠と構造の両側面を考慮して行われた。
第一次審査を通過した6団体をみると、大手建設コンサルタントによる単独参加が2団体。残りの4団体は意匠と構造を別々の主体が担当している。外国からの参加もあったようである。
審査の結果を論評するほどの知見はなく、またその立場ではない。私の関心は、ほかごと、つまり、これまで述べてきたアメリカの趨勢との関係にある。
第一に、“土地の顔”としての橋梁に関心が高まりつつあるアメリカの状況を、私は歓迎する。ただし、ここでの“土地の顔”が単なるシンボルやランドマークという意味にとられないことが前提である。
“コーラ”ということばがある。プラトンの著作『ティマイオス』の「場所の理論」に登場する。『風土学序説』(A.ベルク著、筑摩書房、2002年1月)によれば、コーラは知性だけに関わるものではなく、また感覚だけに関わるものでもない。コーラを見るのは夢を解釈するようなものとされている。コーラは常にすでにそこにある。生まれたり死んだりしない。それでいて存在ではない。存在するものに刻印する母型である。つまり、存在の風景といったものだ。
一方、物が位置する場所を表現するとき、プラトンは“トポス”という語を使う。トポスはある物体が存在する場所であり、物体の構成と分けて考えることはできない。つまり、物体の物理的な場所はトポス、この場所の基礎となる存在論的な特質がコーラである。
さて、“土地の顔”と言う時の“土地”、すなわち場所は“トポス”であるべきではない。それは“コーラ”であるべきだ。なぜなら、場所とは形相でなく、空間でなく、質料でもないからだ。場所は物から分離できる。物は動くが場所は動かない。そして場所は物の限界である。アメリカの新しい潮流が、場所の“コーラ”を十分理解した造型であることを望み、同様に広瀬川橋梁のデザインが仙台の“コーラ”を読み取った結果になることを希望する。
関心の第二は、「橋を建築の側に取り戻す」というカラトラバの視点である。
工学や技術の領域は、芸術やヒューマニティとは正反対のものと見なされる。工業化された技術の結晶は、人間らしさがないという理由で芸術性に欠けたものと思われている。
現代の多くの橋梁もその例外ではない。工学の長足的な進歩の末、橋梁は構造の粋ともいえる機能を形に表現するまでになった。だがその結果、かつてブルックリン橋やゴールデンゲート橋に与えられた「芸術と技術の穏やかな整合」という喝采を現代の橋梁が受けることはほとんど稀である。
ロブリングやアンマンあるいはストラウスやモイセイフなど、巨大橋梁の先駆けとなった技術者が、その陰で有名無名の建築家たちの手助けや助言を得ていたことはあまり知られていない。実際、アンマンはカス・ギルバートを初め多くの建築家と協働しているし、ゴールデンゲート橋では地元の建築家アービング・モローが加わっている。(以上、H.ペトロスキー著『もっと長い橋、もっと丈夫なビル』、朝日新聞社、2006年8月参照)
つまり、橋が「芸術と技術の穏やかな整合」と称賛されていた頃には、技術者と建築家の手堅い連携がなされていたことがわかる。
現代の橋梁を見ると、工学的合理性の追求のあまり技術結果だけが誇示され、その結果、都市の記憶となるような表情は乏しい。アメリカが「芸術‐技術整合の時代」から「工学的合理性追求の時代」を経て、再び「工学から建築を取り戻す」時代を迎えつつあるように、日本においても『建築が工学に勝つ』橋梁をデザインする時代を望みたい。ただし、“コーラ”を母型として・・・。
掲載:『橋梁と基礎 9月号』(2007年9月1日 発行)(株)建設図書
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