時代の風




○私塾・建築講義(5) 〜 アーキテクチュアと空間 〜

1.アーキテクチュアと空間
人間は空間に関心をいだく。空間という環境に影響される。
たとえば落ち着きのない空間に入れられると、心がわさわさする。変化のない空間にいると、所在なげになる。
静穏な空間を与えられると、癒しになる。
癒しが継続すると、瞑想的生活を営んだり、創造的活動に目覚めたり、人格的アセンションにつながる思索や行為を啓発する。
つまり、できごとや行為といったコト的様相の世界に意味や秩序をもちこもうとする。人間は、空間を通じて宇宙をつくる。
それは、人間と空間とのあいだで響き合うコミュニケーション関係をつかみとるからである。
そしてまた、空間という人間にとっての環境に含まれている"モノの作用・性質・状態"によって、世界を読み取ろうとする要求が生じるからである。

このように、人間には空間意識がある。空間意識とは、人間と世界の関係についての意識であり、世界における人間の位置づけを解釈することである。
人間はミクロコスモスだといわれている。自分の身体と精神の中に宇宙を内包している。
空間を意識したとき、ミクロコスモスがマクロコスモスに繋がろうという欲求が起きる。それはちょうど、母の胎内の記憶が消える前の赤子の無垢なる欲望と似ている。
ジークフリート・ギーディオンは『空間・時間・建築』(S. Giedion : Sapce, Time and Architecture, 1959)において、空間問題を近代建築の発展の中心に据え、三つの基本的概念を区別する。

最初の建築的空間の概念化は、さまざまなヴォリュームから発せられる力と関連し、ヴォリュームから発して現象化する。
エジプト、ギリシャなどのアーキテクチュアがこの代表である。

第二の空間概念の突破口は、ハドリアヌスのパンテオン円蓋(ドーム)である。
パンテオンのドームから、建築的空間の概念はくりぬかれた内部空間とほとんどわけへだてできなくなった。

第三の空間概念は、まだ揺籃期にすぎないが、主として建築的空間の内側と外側の相互作用の問題と関連している。
そして、現代建築の迷いはまさにこの内側と外側の相互作用に解答しきれない迷いでもある。これがアーキテクチュアをして空間研究を必要とする最大の原因であろう。

ギーディオンによれば、
「(空間は)人間と環境との関係を明らかにし、人間が対峙する現実を精神的に表現するもの」
である。こうして彼は、実存的空間に近づく。

実存的空間の記述としては、ドイツの哲学者ハイデガーの『存在と時間』(M. Heidegger, "Sein und Zeit" 1927)が名高い。
ハイデガーは、
「諸空間は、その存在を、場所から受けとるのであって、いわゆる『空間』から受けとるのではない」(桑子訳『存在と時間 上』、1960、以下同じ)
と結論する。そして「住まうこと」の理論をこう展開する。
「人間の場所への繋がりは住いに存する」、「住まうことができるようになって、初めて建てることができる」、「住まうことは、実存の本質的特質である」。

実存的空間とは、人間の世界内存在の部分を成す心理的構造の一つである。
これに対して、建築的空間はその物理的対応であるということができる。
ハイデガーは、住まうことと実存の本質を等価におくことによって、心理構造である実存空間と物理形態である建築をつなげることに成功している。

一方、西欧バロック建築の研究者であるC.N.シュルツは、その著書『実存・空間・建築』(鹿島出版会、2001年4月)の中で、建築的空間と実存的空間の関係について次のように述べている。

・建築的空間は、個人にとっては所与の「既成品」であり、他人の創造物であり、したがって他人の実存的空間である。
・建築的空間は、公共的な実存的空間を具体化してみせる。
・建築的空間は、ある種の構造的類同性を通して、人間世界の、より次元の高い対象を意味として表わす象徴形式の一つである。

人間は環境を変えようとする。それは人間の夢や願望に基づいている。環境を変えようとする時、人は物理的に何をするだろうか。
いちばん手近な変革は、身の回りの整理整頓から始まるのではないか。
日常使用する道具や器物を取り替える、あるいは家具の位置を移動する又は新しい家具を購入する、照明やカーテンを取り替える。
いわゆる気分転換のために、こうした経験を持たない人は皆無であろう。
それは一言でいうと「住まい方」を変えていることだ。
「住まい方の思想」を変えているといってもよい。このように、人間の実存的空間は環境の具体的な構造によって決定されていく。

環境改善が拡張されると、それは空間から場所への変革と繋がる。
ハイデガーはそれを「住まうことができるようになって、初めて建てることができる」と表現した。
こうして初めて、実存的空間が建築的空間として具象化される実存の本質を知る。
ただしシュルツが言っているように、それは「他人の創造物」であり、「他人の実存的空間」である。

哲学者のヘーゲルがこんなことを言っている。
「精神というのは、個人の範囲内でいるうちはまだ精神ではない、それが共通のもの、社会のものになってはじめて精神になる」
(『場所の復権』第四章、平良敬一編著、建築資料研究社、2005年12月)
このヘーゲルの言葉のうち、"精神"を"アーキテクチュア"に読み替えてみると、シュルツの指摘の第一と第二の意味が鮮明になることを発見する。

つまり、アーキテクチュアというのは個人の範囲内でいるうちはまだアーキテクチュアではない。
他人の創造物であれ、他人の実存的空間であれ、それが共通のもの、社会のものになってはじめてアーキテクチュアなのだ。
だから、既成品である他人の実存的空間であったとしても、建築的空間は公共的な実存的空間を具体化することができるのである。
実存的空間は、その広がりによりいくつかの諸段階を経る。

シュルツの前掲書によれば、それは地理→景観→都市→住居→家具調度品→器物という段階である。
器物は手の作用の寸法と形状に合うようにできており、家具は身体の作用の寸法にちょうど合うように作られている。
住居には人間の運動や行為、それとなわばり性に見合う寸法が要求される。
都市のサイズは生活形態と社会的相互作用が快適な規模であり、景観は人間と自然環境との相互作用に関わる折り合いである。
そして地理とは、一つの景観から一つの景観への旅である。

さて、これら実存的空間は他人の創造物であり、他人の実存的空間であった。
それが共通のもの、社会のものになってはじめて、これらの物理的対応である建築的空間がアーキテクチュアになりうると書いた。
言い換えれば、社会的存在として認知されたとき、構築された建造物がアーキテクチュアになるのである。






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