時代の風




○私塾・建築講義(9) 〜 アーキテクチュアの始まり 〜

1.アーキテクチュアの始まり
学校の建築教育を受けていないため、建築科の教科書は見たことがない。
そのためだろうか、アーキテクチュアの起源がわからない。一般で手に入る建築書を50−60冊は読んでみたが、このあたりを詳しく書いた本に出会わない。
たいていの建築史の本は、ギリシャ・ローマ建築に軽く触れた後、近代建築やポスト・モダンについてやたら詳しく書いている。それも西欧の建築史に偏っている。
まるで近代の西欧だけが建築史を構成しているような錯覚を抱く。

B.ルドフスキー著『建築家なしの建築』には、
「これまでの建築史に含まれるのは地球上のごく小部分に限られ、その範囲は2世紀に西欧人によく知られていたヨーロッパ、エジプト、小アジア[トルコのアジア地域]からほとんど出ていない」。
だが、建築史が好んで取り扱う“権力と富の記念碑を築いた建築家たちの紳士録”は、過去の建築の模倣が衰退した今日においては、いたずらな研究対象の制限でしかない。
私が知りたいのは、建築史家たちが蓋をして覆ってしまった最初の何万年かなのだが、いくら読んでも「ここからアーキテクチュアが始まりました」という解説に出会わない。

アーキテクチュアについては、これまで見てきたとおり定義も語源も曖昧だった。
それと同じように、やはり歴史面についてもアーキテクチュアは曖昧なままで終わってしまうのだろうか。
アルタミラやラスコーの洞窟はアーキテクチュアなのだろうか?
あるいはそれに続くメンヒル(独立立石)、ドルメン(巨石墳墓)、ストーンヘンジ、ストーンサークルなどの巨石文化はアーキテクチュアなのであろうか?
また樹上生活者や杭上生活者の住まいはどうであろうか?

取り急ぎ、今の私はそれら原始的な住みかやシンボルがアーキテクチュアであるのかどうかを知りたい。
洞窟文化は旧石器時代、巨石文化は新石器時代のものである。
なぜ洞窟が文化なのかというと、絵や女性像の彫刻といった表現活動がそのまま洞穴に残っているからである。だいたい250万年くらい前の時代である。
この洞窟について、藤森照信著『人類と建築の歴史』(ちくまプリマー新書、2005年5月)はアーキテクチュアであるともないとも触れていない。
一方、隈研吾著『新・建築入門』(前出)によれば、
「洞窟は建築とはみなされない。なぜなら
洞窟は人が構築したものではない
からである。」
と言い切っている。
だが一方で、そう言い切ることへの不安も包み隠さず述べている。それは洞窟が三つの特筆すべき建築的特質を持っているからだ。
その特質とは、

・形態をもたない
・迷路性
・時間の非分節

である。
隈研吾は、これを構築的建築物と洞窟の建築的特質の区分と言っている。
要するに、アーキテクチュアという概念がしっかりしている時代には洞窟はアーキテクチュアから排除されてきた。
だが、現在のようにアーキテクチュアという概念がさまよっている時には、ふたたびこの世界に浮上してくるようである。

次に巨石文化について述べよう。
新石器時代、重さが数トンにも及ぶ巨石を立てたり積み上げたりしたものを巨石文化という。
この巨石文化については、藤森の著書も
「・・・建築の外観の特性を最も高い純度で示すのがスタンディング・ストーンにほかならない」
と、アーキテクチュアであることを明記している。
一方、隈の著書はここでも明快である。
「これらの巨石こそ、最初の構築物であり、構築という行為の本質は、すべてこれらの巨石の中に先どりされている」
とし、その建築的特質として次を挙げている。

・形の出現
・垂直という概念の出現→柱

ただ、巨石文化に対する二人の捉えかたは対照的である。
藤森は、巨石文化を神殿という外観に着目し、その純粋性を建築として評価している。
他方、隈は形の出現に着目しながらも垂直を初めとする構造にその建築的特性を強調している。
隈研吾は
「建築とは物質という道具を使って、ひとつの秩序ある構築物を築きあげる行為」
と書いている。
彼にとって、巨石という物質を使い、垂直の概念を構築していることが、何よりも建築であることの証明である。
重複するが、同じ理由によって彼は洞窟を建築としては認めていない。

一方、藤森照信は
「地母神が人をやさしく包む母のような内部を、太陽神が人の眼前にそびえる父のような外観をもたらし、ここに内外二つそろって、ついに人類は[建築]を手に入れた」
と書いている。
彼にとって、物質あるいは構築よりも“神の家”を人類が建てたことこそ建築の誕生であった。
その証拠に、彼は神殿の誕生以前に人の住まいが誕生していることを明確にしているが、それを建築であるとは言っていない。
つまり、隈の物質と構築という“物理的概念の表出”に対し、藤森は神の家という“抽象概念の表出”を建築の成立の基底と考えている、といえば語弊があるだろうか。
いずれにせよ、ここまで調べて来て、やっと私は建築史に共通した認識らしいものを発見する。
それは、

1.洞窟がアーキテクチュアかどうかは、現代性の揺らぎによって変わる、
2.巨石文化は、アーキテクチュアである、
3.よって、アーキテクチュアの起源は新石器時代、つまり今から1万年前くらいである

などの認識は共有されているらしい、ということだ。
アーキテクチュアの起源をやっと知ることができた。そこで次に、この原始アーキテクチュアの特色について触れてみたい。

アーキテクチュアの原初、デザインは世界どこでも共通だった。
既述の通り、アーキテクチュアの起こりは新石器時代。巨石文化に端を発する。今から約1万年前のことである。
フランスのロックマリアケルやカルナックの列石、スコットランドのカラニッシュのストーンサークルなどはその代表である。
スタンディング・ストーンは何もヨーロッパの専売特許ではない。
日本にも秋田県鹿角市の野中堂遺跡、長野県茅野市の阿久遺跡それに青森県の三内丸山遺跡などがある。
この時代の特色は、デザインが世界共通なことである。垂直な柱、円形の家、祈りのための神殿、世界は一つであった。
これをアーキテクチュアの第一歩、黎明期時代と呼ぼう。
デザインが世界共通であったことは、奇跡的でもある。
なぜなら、アーキテクチュア黎明期において、それらはヴァナキュラーであり、自然発生的であり、土着的であったはずだからだ。
加えて、情報が世界を飛び交っていた時代でないことは当然である。
にもかかわらず、この時代のアーキテクチュアは風土性を超越して共通のデザインをもつ。
ここにアーキテクチュアとは「時代の無意識を翻訳するデザイン行為」という定義を思い出す。
そして、ユングが唱えた“シンクロニシティ”がこの時代には有効であったのではないかと考えてしまう。
逆に、時代の無意識をきちんと翻訳できていて、それが空間を飛び越えて同時代の人々に共有されていたからこそ、新石器時代の建造物をアーキテクチュアと呼ぶことができるとも言える。
だが、無意識の翻訳あるいはシンクロニシティによる共通性が見出せるのはここまでである。
その後、アーキテクチュアは時代と共にデザインの振幅が大きくなっていく。
その傾向は青銅器時代から始まり、四大文明時代を経て四大宗教時代にもっとも振幅が大きくなる。
この傾向は15世紀、大航海時代の始まりまで続く。建築が世界の各地で花開いた時代である。
歴史的には、紀元前数世紀から15世紀にかけての約2,000−2,500年の期間がそれに当たる。






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