時代の風




○ケンプラッツ・連載 〜 道路整備に税金は要らない(12) 〜

《インフラを「新たな公」に》(最終回)
   「国」という言葉からは、「国家」と「国土」という響きが伝わってくる。半面、「国民」という空気が漂うことは希薄だ。同様に「国益」と言う場合、対外的優位性などの「国の権威や権益」を感じるが、「国民の利益」という空気はこれまた薄い。
 インフラ整備は、国の“カタチ”を変える作業だ。折々に、機能組織としての「国家」を改め、姿としての「国土」を再編してきた。明治は鉄道、次いで治山・治水、戦後は道路。それぞれの時代に見合った国家の体裁を整え、その都度改変された国土が出現した。
 それは、「国」という形而上の意志による国家と国土の表出であり、是非を超越して現存している。「国」の意志を国家や国土というカタチに変えていく作業において、インフラは不可分な役割を果たす。

1.新たな価値の創造が必要
 翻って今。世はまさに、インフラ事業への批判や評価にかまびすしい。インフラへの批判は「国家」や「国土」に対する国民の不安や不満である。インフラに対する「国」のこれまでの選択に、国民の意思が十分に反映されていたかを世論の空気は疑問視している。
 インフラの"行く末"を考えるとき、この空気は大きなヒントだ。そう、インフラ再生の鍵は「国民」という視座から考えること。換言すると、国家や国土を使う側である国民の立場から、インフラ事業を再構築すべきということだ。
 「国=国民」と想起でき、「国益=国民の利益」と直結できる。そんな空気をかぎながら、“来し方”にあって「つくる側の論理」でできたインフラを、“行く末”においては「使う側の論理」にかじ取りしていく。それが、インフラ事業における新しい“ゲーム”と“ルール”だ。建設の時代から更新の時代へ、力の文明から美の文明へ、拡散型の都市構造から集約・修復保存型の都市構造へ、環境や福祉、文化の優先などが、それを示唆する。
 一方、インフラにかかわる行政や技術に対する評価は低落気味だ。高架橋からの落下物や偽装・手抜き工事が不安をあおり、国民のニーズと乖離(かいり)したインフラの林立や景観利益に反する都市計画が不満を募らせる。耐震偽装や官製談合、天下り法人への過大な発注などが国民の怒りを増幅する。
 新しいルールへと変わるインフラ事業には、(1)地域住民との合意形成、(2)個別事業に見合う透明な発注形態、(3)市民の“運動”と行政の事業とを相補する「新たな公」の関係性のデザイン、(4)事業評価システムの定着などが加わってくる。旧来の行政手法や基幹技術だけで実施するのはもはや無理だ。
 「環境と国土の価値構造」(桑子敏雄、東信堂、2002年)によれば、これまでの社会は経済効率が価値軸だったが、これからの社会は価値創造に重きを置く時代。そこでは、「共通・一律」よりも「個別・場合分け」が重視される。地方の時代、地域固有の顔づくりの時代である。
 資源配分の実権が中央省庁に集中していた従来型のインフラ事業のままでは、「個別・場合分け」の価値創造は難しい。インフラ事業はいま、新たな価値を創造する専門知と専門家の育成に直面している。

2.「行政経営」から「公共経営」へ
 住民参加や合意形成、説明責任などの顧客志向、あるいは政策評価や行政評価、事業評価などの成果志向をいくら総花的に唱えても、「経営する」モチベーションが役所にわいてこない限り、行政経営は成立しない。
 もっと具体的に言うと、親方日の丸の意識がぬぐえず、いつまでも官僚の無謬(むびゅう)性や既得権益に固執し、人や資金を管理の対象として規律だけで統制する「手続き主義」から脱却できずにいる限り、どんなきれい事を並べても行政部門に経営が根付くことはない。
 官僚そのものは、いまでも有能で廉潔な人が多い。だが官僚には限界がある。「指導力」(北岡伸一・田勢康弘共著、日本経済新聞社、2003年)は、それを次のように指摘する。一つは縄張り墨守。自分の仕事の責任範囲以外にはそうそう口を出せない。第二は先例順守。前例のないことについては、官僚は極めて保守的である。第三は年次主義だ。官僚には、これら三つに対する自浄能力がない。
 官僚はもう一つ、弱点を内包している。国益に対するゆがんだ認識だ。すでに述べたように、平成の価値観において国益とは「国民の利益」。「省益」や「企業利益」、あるいは「個人利益」を越える。この国益を背景にしない限り、「公」を守ることは困難である。
 たとえ行政経営が成就しても、行政経営の選択肢が公共全体にとって最適な選択肢であるとは限らない。いまや「官」の政府から「公」の政府への設計変更が重要だ。官と公を区別するなかで、「公共」という「新たな公」の制度設計に技を競う必要がある。これを行政経営に対して「公共経営」と呼ぶ。

3.行政サービスは公共サービスの一部
 「官」をもって「公」とし、「官業」をもって「公共事業」とする見方が定着して久しい。だが、「官」は「公」の大切な部分であるものの「公」そのものではない。
 「公共経営論」(宮脇淳、PHP、2003年)によれば、戦後の日本は「公共サービスの行政サービス化」が急速に進んだ国である。敗戦後の急激な経済成長の中で所得格差や資産格差を是正する取り組みが進み、それとともに行政の関与が拡大し、影響力が強くなったからである。
 行政サービスが公共サービスの一部であることは、「官」が「公」の一部に過ぎないことと同じだ。公共サービスの中には行政でなく、民間企業や個人が主体となれるサービスも存在する。規制緩和とは、官僚が優越してきた社会において行政に集約されていた権限を、いかに国民の手に奪い返すかでなければならない。
 金融や消費といった市場原理に任せるべきものは「官から民へ」を一層、推進する。一方、環境や資源、景観などのいわゆる公共空間は「官から公へ」を促進し、市場には任せない。「新たな公」にとって、喫緊の課題はこれだ。「新たな公」とは、競争セクター(分断、対立、競争による社会)と共生セクター(連帯、参加、協働による社会)が並存する多元的社会の実現でもある。


図12-1 「新たな公」の概念 「行政の解体と再生」(上山信一・桧森隆一共著、東洋経済新報社、2008年)を基に筆者が作成


4.住民の不満をそらすだけの段階から脱却を
 社会学者のシェリー・アーンスタインは8段階の「参加のはしご」を示している。最下段は「世論操作」、次は「セラピー(住民の不満をそらす操)」。この二つは擬似参加と呼ばれ、最初に結論ありきの住民慰撫(いぶ)策。参加不在と等しい。
 逆に最上段は「住民による制御」、次いで「権限委任」、三段目は「パートナーシップ」。ここまでが「住民の権利としての参加」である。その中間には「懐柔策」と「表面的な意見聴取」、「情報提供」という三つの段階があり、これらを「形式だけの参加」という。
 市民や住民の意見を聞き置くだけという日本流は、さしずめ下から二段目のセラピー。昨今のまちづくりが住民の反発で停滞する原因もここにある。例えば、住民の希望を全く無視する国の補助金制度は変えなくてはならない。だが、自治体は国を追及せず、住民を無視する。その背景には、国の補助がないと何もできないという事情が横たわっている。
 「新たな公」は、(1)住民に十分な情報を公開し、(2)いきさつを時系列的に開示し(3)事態をはっきり理解させ、(4)住民の選択に耳を傾ける。これが、「新たな公」と市民参加の関係性をデザインすることだ。
 「王道の研究−東洋政治哲学」(安岡正篤、到知出版社、2003年)によれば、「公」とはもともと「大宅」すなわち統体や体系。おのずから「分」を含む。「分」は統一に即して存在するので「私」とは異なる。「分」が「私」に走らず「公」に帰すれば、創造は円滑に行なわれる。これが、「自治」の本来の姿である。


出典:『ケンプラッツ』 2008年9月9日掲載 「道路整備に税金はいらない(12)」
http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/const/column/20080905/525951/







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