時代の風




○ケンプラッツ・連載 〜 道路整備に税金は要らない(2) 〜

《「無償の道路」は高くつく》
  「必要な道路はつくるし、無駄な道路はつくらない」といっても、道路行政や道路技術に長年かかわってきた専門家ですら、なかなか「真に必要な道路」をみんなに納得してもらえるように立証することは難しい。だから、こんなにも世の中から非難されているとも言える。政治家の利権誘導だとか、国土交通省の省益確保だとか、マスメディアが好むスキャンダルも事実、発生している。
 だが、これから議論しようとすることは、そんなスキャンダル探しではない。元来、道路行政に携わるほとんどすべての官僚は、まじめに道路事業を遂行してきた。ただ、旧来からの法律や制度のため、現行の枠内で政策課題を解決することに苦心しているのも事実だ。旧建設省の高橋国一郎元事務次官のように、「政治的決定がされると、たとえバラ色の構図を描くためにデータを操作せざるを得なくても、官僚はそれに従うしかない」と正直に話す人もいる。

1.道路整備に見る三つの非効率
 「必要か否か」の議論の前に、現在の道路事業が「非効率」だという反省があるべきだ、というのが私の主張である。だから、まずは「非効率」と思われそうな状況を明らかにし、国民の批判に答えるべきだ。
 この連載の第1回で述べたとおり、道路には巨額の予算が費やされている。そのお金の種類は様々だが、元は国民の税金と貯蓄である。「やるんだったら、せめて効率的に使ってよ」というのが国民の本音だ。だから、必要か無駄かの前に、大元の予算が太りすぎていないか、個別の事業に無駄遣いはないか、というところを国民は監視している。
 国民が道路の建設は非効率だと感じる場合、その理由は大きく三つ考えられる。第一は、採択する道路のムダ、第二は道路事業の予算のムダ、第三はその資金調達のムダである。
 必要な道路がつくられず、逆に必要でない道路がつくられてしまう。これが道路の採択上、一番の非効率である。次の事業予算の非効率とは、コストを指す。ぜいたくな道路になっていないか、ぜいたくでないとしても安く抑えているか、または完成した道路の運営費用は節約しているか、という道路事業の「経営論」である。
 三つ目の資金調達の非効率とは、調達資金の金利が高いか安いかということではない。金利に支払うコストとなれば、政府保証による無利子貸付に勝る金融商品はないからだ。
 ここで言う資金調達の効率性とは、「受益」と「負担」の関係が適正かどうかである。誰が最適な「資金提供者」であるべきかという問題だと言い換えてもよい。

2.誰のお金を使っているのか、受益と負担の関係は
 誰が「最適な資金提供者」であるべきかについて、具体的に私の意見を展開したい。
 まずは、道路法の体系について。「道路法」の基本思想は、「道路無償提供原則」にある。この原則は、同時に道路に対する「官独占」の構図を生み出す。従来の有料道路ももちろん例外ではない。
 「道路は無償提供」という以上、道路をつくる資金は何が何でも国や自治体が調達する。その資金の財源が、道路特定財源をはじめとする「税金」であり、国や自治体が起債する国債や地方債という「借金」、あるいは財政投融資という別のサイフからの「借金」である。
 いずれにしろ、国土交通省の「無償提供原則」を貫くためには、「税金」を使い「借金」を返さなければならない。だが、これら「公的資金」の元手は国民の税金と貯蓄だ。決して道路は「タダ」ではない。
 有料道路はどうか。こちらは利用者から徴収した料金収入をもって、道路を建設したときに借りたお金を返していく。ここでも、「無償提供原則」の例外扱いはされない。償還期間が来れば無料開放する。
 ところが、償還時になっても借金を全部返済できない場合が起きる。このとき、自治体であれば「一般会計からの繰り入れ」、旧道路公団系であれば「料金プール制」などの措置が採られる。
 国民の目線で言うと、前者は借金を税金で返すことにほかならない。後者は利用者負担の延長だが、これは同時に、「自分が利用する道路の費用を自分が負担する」という有料道路の原則に反する。なぜなら、東名高速道路の黒字を北海道や四国などの高速道路の赤字と合算するのが「プール制」なのだから。すなわち、「プール制」とは「受益と負担」の関係が適正でない制度である。
 なぜ、償還期間がやってきても借金が残るのか。第一は、計画時の需要予測が楽観的すぎた場合である。前述したように、政策決定された「予定調和」に基づく試算が、この結末を生む場合もある。第二は、建設後の放漫な運営管理である。過剰な職員や不要不急な設備更新、過大な外注費・・・・・。メディアが騒ぐ「天下り団体への発注」も、この範ちゅうである。つまり、「無償提供原則」を貫くために、国民の負担はむしろ重くなる。それが、私のいう「資金調達の非効率」である。
 したがって、今後の道路事業の非効率を是正するためには、必要・ムダの議論やコストの節約以外に、「いったい誰のお金を使うべきか」を議論することが大切な課題だと考える。

3.税金を使わずに道路ができる?
 2008年5月、国交省は「民間資金のインフラへの投資に関する懇談会」を開催した。国内のインフラ整備や管理に民間資金を活用するための議論を本格化し、「インフラファンド」を形成して民間資金を呼び込む方策を検討する。
   この背景には、高度経済成長期に整備された社会資本が急速に高齢化し、維持管理費と更新費が今後増大するという予測がある。2005年度の国土交通白書によると、維持管理や更新の費用が全体に占める割合は、2004年度の33%が2030年度には70%まで増大する。
   一般にインフラは、交通や通信などの「経済インフラ」と、学校や病院などの「社会インフラ」に分類できる。このうち、投資対象としやすいのは、経済活動の需要があり、キャッシュフローが見込まれる経済インフラである。なかでも、有料道路のように利用者による負担の範囲と手段が明確なものは、投資リターンの見通しが立てやすい。
   つまり「民間資金のインフラへの投資」は、今後の道路政策に発展する可能性が十分にある。道路特定財源というサイフの行く末を憂慮し、それに替わる将来のサイフとしてインフラファンドを検討するとも読み取れる。
 先進諸国の道路投資性向を見ると、実はこの国交省の選択(?)は正しい。もし実現すれば、「無償提供原則」と「官独占」を前提にした現行の「道路法」体制に加え、「受益負担一致の原則」と「官民連携」を基軸とする新たな資金調達が可能となる。
 その結果、道路運営に関する新たな事業法が制定され、これまで官独占だった管理運営領域が、(1)官・直接型、(2)官民連携型、(3)民・直接型となる可能性もある。
 こんな仮説に基づき、「道路事業の三つの非効率」のうち、特に「資金調達の非効率」を中心に、(1)税金を使わない道路整備、(2)受益と負担の一致、(3)官民連携の道路運営の可能性ついて、次回以降でそれぞれ提言と検証をしてみたい。


出典:『ケンプラッツ』 2008年6月24日掲載 「道路整備に税金はいらない(2)」
http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/const/column/20080624/523807/






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